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津地方裁判所 昭和45年(行ウ)1号 判決 1976年4月22日

三重県四日市市千歳町一番地の一

原告

土屋静男

右訴訟代理人弁護士

美村貞夫

入沢武右門

被告

四日市税務署長

久留宮明

右訴訟代理人弁護士

志貴信明

右指定代理人

森本善勝

田中博道

森国俊雄

木村三春

古沢専一

鈴木孝

主文

一、被告が昭和四三年三月一二日付をもつてした原告の昭和三九年度分所得税の総所得金額を三、一九五万六、七五〇円、退職所得金額を一、六九二万円、所得税額を二、四六一万四、二〇〇円とする更正決定のうち、総所得金額につき二、三二五万九、九六二円を超える部分、退職所得金額につき八四〇万一、四九八円を超える部分、所得税額につき総所得金額及び退職所得金額を右同額として算定した税額を超える部分並びに過少申告加算税七九万六、〇〇〇円の賦課決定のうち、右税額の超過部分に相当する部分を取消す。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和四三年三月一二日付でした原告の昭和三九年度分所得税額の更正決定を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和三九年度分所得税に関し、同年九月に訴外紀州海工株式会社(以下、訴外会社という。)を退社する際に受領した八、五一〇万円の金員についてはなんらの確定申告をしなかつたところ、被告は、右金員のうち三、四〇四万円は退職金であり、五、一〇六万円は贈与金であつて、申告脱漏であるとして、昭和四三年三月一二日付で、それぞれ退職所得金額を一、六九二万円、一時所得金額を二、五五三万円とする更正決定をした。

2  原告は、右処分を不服として、昭和四三年四月一一日付で被告に対し異議申立をしたが、同年七月一日付で棄却され、さらに、同年八月一日付で名古屋国税局長に対し審査請求をしたが、昭和四四年一〇月一六日付で棄却された。

3  しかし、右金員を課税所得と認定したことは事実誤認であり、本件更正決定は違法であるから、その取消を求める。

二、請求原因に対する認否

請求原因1、2は認める。同3は争う。

三、被告の主張

1  原告の昭和三九年度分の所得税についての確定申告の内容並びにこれに対する被告の更正決定及び過少申告加算税賦課決定の内容は別紙(一)「課税処分表」のとおりである。

2  本件更正決定等の正当性について

(一) 原告は、昭和三九年五月頃、当時代表取締役をしていた訴外会社を退職する際、原告の要求により訴外会社から手形で二、〇〇〇万円、預貯金で七、八〇五万円及び現金で二〇五万円の合計一億一〇万円を受領した。

(二) 原告が受領した右金員は、原告が訴外会社の他の役員との間に紛争が生じ、その解決策として、原告が同社を退職するに際し、同社が原告の要求をいれ、ただ漠然と支払つたものであつて、右金員のうち、四、〇〇〇万円は退職金であり、残余の六、〇一〇万円は訴外会社から原告へ贈与されたものである。

ところが、右手形支払二、〇〇〇万円のうち一、五〇〇万円がその後不渡りとなつたために、原告と訴外会社関係者らと話合がなされ、その結果、訴外会社が原告に支払つた金額は、八、五一〇万円に減額されたが、右減額された一、五〇〇万円については、それが退職金の部分であるか、その余の部分であるかについては何ら協議されなかつたところ、このような場合、一般社会通念の見地に鑑みれば、当初に支払われた退職金とその余の部分との割合によつて、右金八、五一〇万円が支払われたとみるべきが相当である。

よつて、被告は、右の一般的見地に従い、当初の支払金額の割合、すなわち、退職金四〇%(<省略>)、贈与金六〇%(<省略>)、の割合を右支払金額八、五一〇万円に乗じて、訴外会社からの退職金三、四〇四万円、贈与金五、一〇六万円と認定し、昭和四〇年三月三一日法律第三三号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という。)九条一項六号及び九号の規定により、それぞれ次の計算のとおり退職所得金額一、六九二万円、一時所得二、五五三万円を算定し、原告の所得金額及び税額等を更正した。

(退職所得金額の計算)

収入金額 特別控除額(旧所得税法9条1項6号) 退職所得金額

<省略>

勤続年数

特別控除額 50,000円×4年=200,000円

(一時所得金額の計算)

総収入金額 必要経費 一時所得金額

<省略>

四、被告の主張に対する答弁

1  被告の主張2(一)は認める。

2  同2(二)は争う。但し主張のような経過で一、五〇〇万円分が減額となつたことは認める。

八、五一〇万円のうち、二、〇〇〇万円は退職金であり、六、五一〇万円は訴外会社に対する貸付金の回収分である。

五、原告の反対主張

1  原告は、昭和一八年頃、尾鷲市で船員をしていたときに一緒に働いていた訴外川口渡と知合い、その後兵役に服して別れ別れになり、終戦後再び一緒に船員として働き親交を結んでいたが、昭和二四年頃漁業を営んで失敗した原告からの借財の申入れに対し、当時北海道にいた右川口は快く三万円を送金してくれたので、原告はこれに感謝するとともに川口に深く恩義を感じた。

2  原告は、昭和二六年に熊野市でパチンコ営業を始めたが、これが図に当つて成功を見るに至り、昭和二七年、石材運搬の仕事を始めた川口からの資金援助の要請に応じて右恩義に報いるため資金援助をするようになつたが、昭和三二年、右川口が「紀州石」という名称で採石業を開始するとともに自からもこれに出資して共同経営に乗り出すことにし、パチンコ営業で得た利益をもとに、昭和三三年に至り車輛、機械の購入、採石場の整備、道路の造成開設等に金二、五〇〇万円の支出をしたが、当時は石材の販路も志摩半島の周辺に限られ、売上高も微々たるもので資金を要するばかりであつたので、原告としても多額の資金を提供した以上、共同経営者として事業を成功裡に遂行して資金の回収を図るべく、同年夏に至り川口との間で次のような約束をして事業の遂行を誓つた。

イ 今後必要な建設資金で原告が出す金は企業の借入金として処理し、後日返済可能のときは最優先に支払う。

ロ 原告が既に支出している二、五〇〇万円はこれを原告の投資分とし、原告と川口との投資比率を五対一とし、配当金が右二、五〇〇万円とその負担利子分に達したときは、その後は五対五の投資比率として利益を折半する。

右約束にもとづき、原告は引続き資金の投入を続け、昭和三六年四月訴外会社設立までに、第一埠頭、第二埠頭の建設、採石場の整備、道路の開設、事務所、倉庫、労務者寮等の建築、石材運搬用船舶の購入などに既に支出した二、五〇〇万円とあわせて合計九、五六五万二、二〇〇円を支出した。

3  原告が右九、五〇〇万円余の支出ができたのは、別紙(二)「資金運用表」の資金の源泉欄に記載されているとおり、銀行からの借入金八、六一〇万六、〇〇〇円、山林、パチンコ店の売却代金一、一九〇万円及びパチンコ営業による利益七、五二〇万円をやりくり運用した結果であるが、このパチンコ営業による利益は税金等の関係から公表を差控えざるを得ない事情もあつたので、「紀州石」の帳簿にも全く記帳することなく、二人の間で契約書その他の書類の取交しもないままであつた。

なお、山林、パチンコ店売却代金の明細は別紙(三)のとおりであり、パチンコ営業による利益の年別の内訳は別紙(四)のとおりである。

4  その後右企業を会社組織にすることにし、昭和三六年四月一五日、原告と川口とが各二〇〇万円宛出資して資本金四〇〇万円の訴外会社を設立し、原告が代表取締役社長に就任し、その際、原告が投資して得た紀州石の資産はそのまま訴外会社に引継がれたが、前紀のとおり原告のパチンコ営業による利益を隠さなければならない事情があつたので、記帳上は、別紙(五)「引継勘定修正表」の引継表現額欄記載のとおり、困定資産において、実際の取得額八、四九五万六、〇〇〇円に対し、一、九八〇万三、八〇〇円を計上したのみで、火薬庫二棟、水道施設、木橋及び土地造成費は全部除外し、その他も実際の価額を圧縮して記帳、計上した。

このようにして、原告の投資額九、五六五万二、二〇〇円のうち、一、七五〇万円は第三相互銀行より原告が借入れている債務を訴外会社が肩替りして会社の債務として計上記帳し、別紙(五)「引継勘定修正表」の「引継表現額」欄記載の一、九八〇万三、八〇〇円を計上する見合いとして、原告に対する会社の債務一、三〇〇万円を計上記帳した。

5  原告と川口とは共同して訴外会社の運営にあたり、伊勢湾台風の被害復旧という突発的需要に恵まれて会社の業績も順調であつたが、その後会社の運営について両者の間で見解が別れ、昭和三九年四月、川口が退社の意思を表明して五、〇〇〇万円の定期預金を持去つて出社しなくなつたところ、従業員らが川口の復帰と原告の退社を要求するので、原告は、同年六月二日に至り、川口の代理人川井捨男との間に投資資金の返還と利子の支払及び利益分配として金一億円の支払いを受けて退社することを合意し、無記名定期預金と現金で八、〇〇〇万円、約束手形四通額面合計二、〇〇〇万円の計一億円を受領して、原告の株式及び社員権等を川口に譲渡して会社から手を引いた。なお、その後、二、〇〇〇万円の約束手形のうち一、五〇〇万円分は返還し、別に一〇万円の支払いを受けたので、結局八、五一〇万円を受領したことになる。

六、原告の主張に対する被告の反論

1  原告主張の別紙(二)「資金運用表」について

(一) パチンコ収益七、五二〇万円の主張について

(1) 原告のパチンコ業にかかる昭和三三年分ないし同三五年分所得税の確定申告における営業所得金額が昭和三三年分八三万八、六〇〇円、同三四年分七九万一、一八三円及び同三五年分二二万五、〇〇〇円並びに昭和三三年分の所得税の予定納税額第一期分一万六、五三〇円、同第二期分一万六、五三〇円となつているが、これを基に原告のパチンコ業の開業から(昭和二七年)廃業(昭和三五年四月)に至るまでの全期間における営業所得金額を推算してみると別紙(六)のとおり合計六〇〇万円程度にしかならないものであつて、右金額は原告の右期間の生活費等六八〇万三、〇一四円に充当したとみることができる。

(2) 原告とほぼ同じ期間、原告と同じ熊野市木本町で原告のパチンコ店のすぐ筋向いの場所でパチンコ店を営んでいた訴外酒井杉男は、パチンコ機械四五台を有していたが、最も利益のあつた年でさえ、せいぜい一五〇万円ぐらいの所得にすぎなかつたのであり、右金額一五〇万円(パチンコ機械四五台)を基に原告の全営業期間の所得を推計してみても別紙(七)のとおりその所得金額合計は二、七二二万三、〇〇〇円になるにすぎない。

(3) 名古屋国税局において、同局管内における商業、工業、庶業(自由職業等)に関する所得申告の適否の判断ないし所得推計の参考に資するために、同管内の右各業種についてその営業地域、事業規模に応じてその事業の実体をほぼ完全に把握したものと思われるもの若干例を無作為抽出し、その事業収支の実態を調査して作成された「昭和三〇年分所得業種別効率表」(乙第七号証)における「パチンコ(サービス)」の部の数値を適用して原告の昭和三〇年分のパチンコ業にかかる収入金額を試算してみると、別紙(八)のとおり、一、九五三万九、〇〇〇円となり、右金額と原告の主張する同年分の純益一、四〇〇万円を基に推計した収入金額六、四四六万六、六一五円と比較すると原告主張額は約四倍となりその過大なことが明らかである。

(4) 又もし、原告の主張が仮に真実であるならば、当該純益は何らかの資産形態となつて顕現される筈にもかかわらず、原告のパチンコ業の営業期間中における資産状況等をみると原告主張の山林取得五〇〇万円があるのみでそれ以外何らみるべきものは存在しない。

(5) 原告主張のようなパチンコ業にかかる利益があつたとすれば、たとえ他の事業に関与するからといつて、右建物、設備および事業もろとも原告主張のパチンコ利益の三か月分に充たないわずか三二〇万円で他に譲渡するとはとても考えられないところである。

一般的な経済人であれば現金収入の資金源である好況な生業を手離さず、他の方法によりその経営と管理態勢を整え新しい事業に専心するのが通常である。

(6) 統計表等の比較から

次に原告の主張によると、パチンコ業の昭和三五年三月分の売上金額は三〇七万六、〇一〇円であるが、右の売上金額は、総理府統計局作成による家計調査総合報告書の「都市別全世帯年平均一か月間消費支出」における三重県松阪市の昭和三五年分一世帯当りの消費支出総額(以下、「一か月一世帯当りの消費支出」という)二万四、八八〇円(乙第四三号証)を基に推計した原告のパチンコ店の所在地である木本町全体の一か月当りの教養娯楽費の全額である二三八万九、七七〇円を上廻る額であり、また、同町全体の一か月当り消費支出総額(食料費、住居費、光熱費、被服費、保健衛生費、交通通信費、教育費、教養娯楽費、保険料、その他の支出の一切)である四、一五四万九、六〇〇円(乙第四三号証)の約七・四%にも達する額である。

そして原告がパチンコ業を営んでいた期間の松阪市の「一か月一世帯当り消費支出総額」(当時の一世帯<四・一九ないし四・八四人>の一か月間の生活が可能であつた金額およびこのうちの教養娯楽費と原告主張の一か月平均のパチンコ業にかかる利益とを比較すると次のとおりとなり、原告の主張するパチンコ業の利益がいかに莫大な額であつて首肯できないことは明らかである。

<省略>

(7) 名古屋国税局管内の高額所得者等との比較から

原告がパチンコ業を営んでいた期間のうち、昭和二九年から同三五年までの各年分の名古屋国税局管内における所得税納税者(確定申告をした者及び税務署長が決定した者をいう、以下同じ)の所得階層別分布状況(乙第四四号証―同第五〇号証)によつて原告が主張しているパチンコ収益の属する所得階層以上の所得税納税者の全ての所得税納税者に対する割合をみると

<省略>

となり、原告主張のような高額な所得金額を有する所得税納税者は名古屋国税局管内にもわずかしかなかつたのである。

そのうえ、原告が一、四四〇万円のパチンコ収益があつたと主張する昭和三〇年分にあつては、三重県内に一、〇〇〇万円を超える所得があつた者は皆無であり、したがつて原告は三重県一の高額所得者であつたこととなる。また一、二〇〇万円のパチンコ収益があつたと主張する昭和三一年分にあつても、三重県内では一、〇〇〇万円を超える所得があつた者はわずか二人しかいなかつたのであるから原告は三重県内で三人目の一、〇〇〇万円を超える高額所得者であつたことになるが、かかることはパチンコ機械一〇〇台の経営規模であつた原告には到底考えられないところである。

(二) 原告所有のパチンコ店の売却代金について

原告は原告所有のパチンコ店を昭和三五年に訴外寒作英雄に売却した収入として三四〇万円を計上しているが被告の調査によると三二〇万円が正当である。

しかも右売買代金の決済は昭和三六年四月一五日現在では全額行なわれておらず右年月日現在において原告が実際に受領した金額は右売買契約書によれば一二〇万円である。

(三) 山林伐採による所得について

原告は原告所有の山林を伐採した所得が昭和三三年に五九〇万円、同三四年に二六〇万円あつたと主張するが、原告の昭和三三年分および同三四年分所得税の確定申告額には山林の伐採による山林所得の申告が全然なされていない事実および原告においてその立証がないことからして右所得は存在しなかつたものと認めざるを得ない。

(四) 原告名義の銀行借入金八千数百万円について

(1) 原告の取引先であつた第三相互銀行との取引につき

イ 原告名義の貸付金とその返済金

ロ 原告名義および原告が原告の仮名であると主張する大屋桂市ならびに土屋美代子名義の普通預金

ハ その他借入金元本の返済と当該借入金の支払利息についてそれぞれ口座ごとに、入金された金員についてはその入金経路(収入源)を、また出金された金員についてはその出金先を調べて一部判明した取引内容から判断すると、第三相互銀行貸付金口座は、原告主張とは異なり、土屋静男らの特定名義を使用しているが土屋静男個人の取引口座ではなく、紀州石の口座であるといわざるを得ない。すなわち、

a 昭和三五年四月三〇日付土屋静男名義借入金三〇〇万円(甲第四号証五枚目下から五行目、乙第三九号証の五)は第三相互銀行本店の共栄石材商会川口渡名義の普通預金(口座番号一二九六)に同日入金されている)(乙第一四号証の三)。

b 原告名義の借入金の返済の一部は別紙(九)のとおり紀州石の売上金、他の金融機関からの借入金、大屋桂市普通預金および共栄石材商会川口渡の預金から返済されている。

c 原告名義の借入金に対する支払利息が紀州石から支払われている(乙第一〇号証)。

d 訴外中小企業金融公庫の原告名義の借入金の返済が紀州石から支払われているが、右事実(乙第四一号証の六、八、一七、二八)は、同借入金は紀州石の借入金であり、紀州石が原告名義で借入れていたことを示している。

以上の借入金の返済、利息の支払の事実関係からみて第三相互銀行からの土屋静男名義の借入金は、原告個人の借入ではなく紀州石が借入れたものであり、土屋静男名義というのは金融面において紀州石を代表した名義である。

(2) 原告は第三相互銀行からの原告名義の借入金は原告自らの資金で返済したと主張するが、右返済金の資金出所を検討すると、別紙(一〇)のとおり、右銀行の川口渡、大屋桂市、土屋美代子名義の普通預金から返済されており、右各預金には紀州石の売上金と認められる入金が存在することから、右返済金は紀州石の売上金から返済されたものといえるものがある。

(五) 原告の銀行預金について

(1) 原告が原告の預金であると主張する土屋静男名義および大屋桂市、土屋美代子名義の普通預金には、別紙(九)のとおり、紀州石の取引先から入金があり、さらにこれらの預金と川口渡名義の普通預金口座との間には川口名義の預金を中心とした入出金が存する事実から、これらの普通預金は、紀州石の口座であるといえるのである。

(2) 原告はパチンコ業の利益の一部を仮名にて積立預金していたと主張するが

a 昭和三三年以前に積立預金をしていたのは契約給付金一〇万円程度のものが一部あるのみであつて(乙第二三号証)、積立預金が本格的に行なわれ始めたのは原告が紀州石の事業に積極的に取組み始めた昭和三三年であること(乙第二四ないし同第三七号証はいずれも昭和三三年以降のものである)

b 原告がパチンコ業を廃業し経常収入の見通しが皆無となつた昭和三五年七月一四日付で契約給付金五〇〇万円で毎月の掛金一二万五、〇〇〇円の積立定期を新規契約している(乙第三三号証)こと

c 原告の昭和三五年四月のパチンコ業廃業後においても毎月四四万八、七五〇円ないし五七万六、二五〇円の積立預金の掛金を支出していること

d 別紙(一〇)のとおり原告名義で昭和三三年中に一、四九五万円、同三四年中に二、九二〇万円、同三五年中に二、九八五万六、〇〇〇円を第三相互銀行から借入れており、これに対応して同銀行に大屋桂市ほか四名義の積立預金が昭和三三年中に二四一万五、〇〇〇円、同三四年中に五〇一万八、七五〇円、同三五年中に六一三万円あり、そのうえ原告名義の借入金が本格的に行なわれ始めた昭和三三年五月三一日に大屋桂市名義掛金一、〇〇〇万円が契約されている(乙第二五号証)のであり、さらにこれらの積立預金が後日右借入金の返済に充てられたのであるから、当該積立預金は右借入金のために積立てられたものであること。

e 紀州石の元帳によると、その現金欄の昭和三六年一月三一日(乙第四一号証の八)「借入金内返済土屋」五九万三、七五〇円、同年三月八日(同号証の一七)「二/二八・二月分借入内返済第三相互土屋静男」五九万七、九〇〇円、同年四月一五日(同号証の二八)「四/五・三月借入分返済第三相互木本本店」五九万三、七五〇円と記載されており金額は多少異なるが積立月日は合致しており、右月日に第三相互銀行の土屋静男名義の借入金は返済されていないのであるから、紀州石においては積立預金は借入金の返済のためになされていたので借入金返済として記帳していたものと考えられること

から右積立預金は紀州石の運用資金によつて積立てられたものと考えられる。

2  原告の別紙(五)「引継勘定修正表」について

(一) 原告は「引継勘定修正表」の「実額投入額」から「引継表現額」を差引いた六、五一五万二、二〇〇円が訴外紀州海工株式会社に対する隠れた貸付金である旨主張する。しかし原告の右主張は以下述べるとおり措信できない。

(1) 原告作成の「引継勘定修正表」における「引継表現額」(訴外会社の引継表現額を示す)欄の「舗装道路」六六九万八、〇〇〇円、「車輛置場」一五万九、五〇〇円、「労務者寮」二五一万六、三〇〇円については訴外会社の引継勘定によると、「道路使用権」三六五万五、〇〇〇円の計上はあるが、「舗装道路」については引継額の計上がなく、「車輛置場」についても計上がない、また「労務者寮」については一一九万円の引継額となつている(乙第三八号証の一五ないし同号証の一七)。

したがつて、「引継勘定修正表」の「引継表現額」は事実に反するものである。

(2) 「引継勘定修正表」の過少または不表現額は六、五一五万二、二〇〇円であり、原告主張の訴外会社に対する隠れた貸付金六、五一五万二、二〇〇円と合致している。ところが右「引継勘定修正表」の引継表現額は各資産の取得価額から減価償却費累計額を控除した額を基礎とした訴外会社設立時の評価額である(乙第三八号証の七および同号証の一五ないし一七)のに対して、同表の実際投入額は原告主張によれば取得価額である。

そうすると、原告は、当該資産の取得価額であると主張する金額と帳簿上の取得価額から減価償却費累計額を控除した額を基礎として算出された評価額という異質なものを比較しているのであり、その結果が原告の主張する訴外会社に対する隠れた貸付金と一致するというのであるから、その不合理なことは明らかである。

(二) 原告は「引継勘定修正表」の「実際投入額」欄に原告が実際投下したと主張する資産の評価額を計上しているがこれらの評価額は次のとおり原告がその主張額について辻つまを合わせるために全く恣意的に算定したものであると言わざるを得ない。

(1) すなわち、右「引継勘定修正表」に計上されている資産には、紀州石の自家生産による石材等が使用されているのであるからこれらの資産の評価は紀州石が石材等の生産に要した原材料費、労務費および経費の額ならびにこれらの資産を事業の用に供するために直接要した費用の額等によつて評価すべきものである(法人税法施行令五四条一項二号参照)。

また、原告が紀州石に投資したことが事実であるとしても、その投下資金は紀州石の営業活動の運転資金にも充てられている筈である。

さらに、右資産の評価は昭和四一年頃に昭和三三年および同三四年頃の評価をした旨主張するが、その評価の内容について具体的に何ら明らかにしていない。

右の諸点から右「引継勘定修正表」の資産の評価は恣意的になされたと言わざるを得ない。

(2) のみならず原告が本件審査請求の際、当初提出した「土屋個人資産投入明細」によれば実際投入額の合計額は七、五八七万円でありそのうち「道路」は一、四〇〇万円、「第二埠頭」一、六〇〇万円、「労務者寮」七二万円と計上しているが(乙第四号証)、原告が本件訴訟上主張している金額は実際投入額の合計額八、四九五万六、〇〇〇円、「道路」三、六八五万円、「第二埠頭」一、〇二〇万円、「労務者寮」六一二万円として計上していることからもその評価額の恣意的なことは明白である。

(3) 原告は、原告の紀州石に対する貸付金九、五六五万二、二〇〇円のうち一、七五〇万円が第三相互銀行の借入金として、一、三〇〇万円が紀州石勘定として訴外会社に引継がれた旨主張する。

しかし訴外会社の紀州石勘定には右金額は計上されていないのであるから、原告の主張は措信できない。むしろ、右銀行からの借入金のうち一、七五〇万円が訴外会社に引継がれている事実は、訴外会社が設立された昭和三六年四月一五日現在の土屋静男名義借入金三、一八〇万円(乙第三九号証の一二)と同日現在の川口渡名義の借入金七〇万円(乙第四〇号証の三)との合計額三、二五〇万円から大屋桂市ほか四名義で積立てられた積立預金の訴外会社設立時における積立額の一、五二八万七、五〇〇円によつて担保される一、五〇〇万円を差引いた一、七五〇万円が同社の債務として引継がれたものであると説明できるのである。

3(一)  原告の資金源泉からみて貸付金があつたとしても消滅している。

被告の以上述べたところに従つて昭和二七年一月一日から同三六年四月一五日までの期間における原告の資金源泉は次のとおり

資産の処分代 一二〇万円

パチンコ業収入二、七二二万三、〇〇〇円

(別紙(七)のとおり最大限に見積つたもの)

合計 二、八四二万三、〇〇〇円となり

仮に、原告名義の第三相互銀行および中小企業金融公庫からの借入金が紀州石のものでなく、原告の借入金であるとしても右期間の第三相互銀行からの借入金は八、〇六〇万六、〇〇〇円(別紙(一〇)参照)、中小企業金融公庫からの借入金は六〇〇万円(乙第二一号証の一、二)であるから、右各借入金を加算した右期間の原告の資金源泉は一億一、五〇二万九、〇〇〇円となり同金額から原告主張により原告が支出しなければならないこととなる、「資金運用表」における「資金運用」欄の「1預金一、四六三万円」、「2山林五〇〇万円」、「5出資金二〇〇万円」、「7支払利息八三一万四、七八六円」および第三相互銀行の原告名義借入金の返済額四、八五〇万六、〇〇〇円(別紙(一〇))ならびに生活費等個人支出六八〇万三、〇一四円の合計八、五二五万三、八〇〇円を差引くと、原告が紀州石に投資し得る金額は二、九七七万五、二〇〇円となる。

してみれば右金額がそのまま紀州石の設備に投資され、当該設備がそのまま訴外紀州海工株式会社に引継がれて当該設備に相当する金額が右訴外会社に対する原告の簿外貸付金になつていたとしても、それに見合うところの債権については原告の主張によれば右訴外会社が原告の銀行債務一、七五〇万円について肩代りを行ない、さらに原告が主張する如く右訴外会社は原告に対する債務として一、三〇〇万円を計上し処理しているというのであるから、原告の右訴外会社に対する貸付金は既に消滅しているというべきである。

(二)  匿名組合の法理から訴外会社に貸付金返済の請求ができない。

紀州石は、原告と川口との間に出資、事業および利益分配の三要素の契約に基づく二人の共同事業である。

しかしこの事業は反覆性を有し、営業者は商人であることから、川口と原告との間は商法の匿名組合に該り、これに関する規定を適用ないし「匿名組合に類似するものとして、これらの規定を類推適用するのが相当であると解される。

ところで商法の匿名組合の規定によると、出資者である原告から紀州石に出資された資金は営業主である川口の財産に帰属し、出資者は紀州石に利益があつた場合にのみ利益の分配を受け、また契約終了時に出資が損失により減少していたならばその残額のみしか返還の請求ができないとされている(商法五三六条、五三八条、五四一条)。

原告は、紀州石は毎年赤字であつた旨を主張しているから、もしそうだとすると、仮に原告主張の出資が事実あつたとしても、匿名組合契約(もしくはこの類似契約)が終了したとみられる昭和三六年四月にはその出資額はかなり減少したことになり、原告はこの残存出資額についてだけ、しかも川口に対してのみしか請求できないのである。

また仮に、匿名組合のそれでなく民法の組合の規定が適用ないし類推適用されるとしても、残余財産があつた場合にのみしか分配の請求ができないことに変りはない。

(三)  財産引受の法理から訴外会社に返済の請求ができない会社設立にあたり紀州石勘定をそのまま新会社が承継したということは、単純な債務引受ではなく、積極、消極の両財産を一括して新会社に引きつぐことであり、また、新会社設立の発起人である原告と川口とが会社の設立を条件として原告のいう紀州石の営業権等の一切を紀州石から新会社が譲り受けることを約したものであるから、このことは実質的にいわゆる財産引受に該るものである。

ところで、この財産引受は、目的物である財産が過大に評価され会社の財産的基礎を危くするおそれがあるため、公証人の認証を受けた原始定款にこれを記載することを要するなど厳格な要件が法定されているのであつて、これを経ていない場合には財産引受は無効であり、その結果が会社に及ばないことはいうまでもない。

しかも本件においては、原告の主張する訴外紀州海工株式会社の債務についてその後も株主総会の特別決議も経ず、また、訴外会社の帳簿、貸借対照表等にも計上されていないのであるから、仮に原告のいう前記の債権債務をそのまま訴外会社が承継することになつたとしても、原告は訴外会社に対してその債権の支払を請求できないものといわなければならない。

七、被告の反論に対する原告の再反論

1  別紙(二)「資金運用表」について

(一) パチンコ収益七、五二〇万円について

(1) 原告のパチンコ業にかかる所得税の確定申告における営業所得金額は真実のものではない。パチンコ営業は日本における最高の脱税業種であつて、本件においても原告には右申告額を超えるパチンコ営業収入があつたのである。

(2) 酒井杉男のパチンコ営業による所得が最高でも年間一五〇万円にすぎなかつたとの点は信用できないし、仮に酒井のパチンコ収入が少いということがあつたとしても、それを直ちに原告の場合にあてはめることはできない。隣合せの店舗でも一方が利益をあげ、一方が倒産することはあるのであつて、原告はパチンコ客を獲得し、これを自分の店にひきつけておくために種々の経営上の工夫をした結果、前記のような利益を上げ得たのである。

(3) パチンコ営業による収益の実体が把握し難いことは衆知の事実であつて、被告の主張する「所得業種別効率表」は正確なものとはいい難い。

(4) 原告は、昭和二七年ころからパチンコ営業による収益の大半を川口への資金援助に使用している。そして他に不動産等を購入しなかつたのは脱税の発覚を恐れたためである。

(5) 原告は、昭和三四年の伊勢湾台風による石材の需要を見通して思い切つた投資をしているので、紀州石の経営に専念して投資資金を回収するとともに利益を挙げるべく紀州石の経営に専念する必要があつたことと、パチンコ業というイメージが子供の教育上悪影響を与えるおそれがあつたことからパチンコ業をやめたいとの気持になつていた折、支配人であつた訴外寒作英雄の希望もあつて、同人にこれを売却することにしたものであり、右寒作英雄は、原告経営のパチンコ店に約一〇年近く支配人として精勤し、暴力団の介入を防止したり等誠実に原告の代行をしてくれたので、その労に報いる趣旨で格安に処分したのである。

(二) パチンコ店処分代金について

パチンコ店処分代金は金三四〇万円であり、資金需要で繰上げ弁済を受けている。

(三) 原告名義の銀行借入金について

原告は、紀州石において必要とする資金の調達、工面の一切を担当し、右資金を第三相互銀行から借受けるについて、便宜、自己や妻名義は云うに及ばず架空の大屋桂市、森本美代子、川口渡、川口たけの等の名義の預金口座を開設し、使用していたものであり、共栄石材商会川口渡名義の取引も原告が行つていたものである。従つて、原告名義の借入金の返済が右各預金口座からなされているということは当然のことであつて、右借入金が紀州石に対するものということにはならない。

又、紀州石は発足以来赤字経営であつたのであるから、その取引先からの売上金等を右借入金の返済に充てるなどの余裕はなく、仮に右取引先の支払小切手等が前記原告等の名義の取引口座に振込まれたとしても、その金額に相当する金が別途原告から紀州石に交付されているはずである。従つて、この点を根拠としても前記借入金をもつて紀州石に対するものということはできない。

次に、紀州石から支払われているという支払利息は、紀州海工が引継いだ前記一、七五〇万円と一、三〇〇万円の合計金三、〇五〇万円を昭和三六年一月一日から紀州石の原告からの借入として紀州石の帳簿に計上し、同時にその利息も計上したものであつて、紀州石から支払われている支払利息とは右三、〇五〇万円に対するものであり、これをもつて直ちに前記銀行借入金が紀州石に対するものとの結論を導くことはできない。

(四) 原告の銀行預金について

前記のとおり、原告名義、その他の名義の普通預金口座は原告が開設したもので、紀州石の取引先からの入金が振込まれていたとしても別途それに相当する金額が原告から紀州石に交付されているはずであり、右各普通預金口座は原告のものである。

又、パチンコ廃業後、紀州海工設立の前後を通じてなした積立預金は、パチンコ収益、資産処分代金等から紀州石への投資金、生活費等を差引いた金二、〇〇〇万円位の余裕金からなされているものであり、右預金の多くは前記資金運用表記載の預金一、四三六万円の一部と考えられる。

2(一)  匿名組合の法理から訴外会社に返済の請求ができないとの主張について

原告の紀州石への貸付は文字通り貸金であつて出資ではないから匿名組合が成立したものということはできないし、仮に匿名組合が成立したとしても、損失の分担は匿名組合の要素ではないから原告が出資額の返還を求めえないというものではない。

(二)  財産引受の法理から訴外会社に返済の請求ができないとの主張について

紀州石と訴外会社との資産負債の承継は、いわゆる法人成りで、それまでの個人営業を法人組織にしてその営業をひきついだもので、財産引受に該当しない。仮に財産引受に該当して無効だとすれば、原告は、訴外会社が引継いだ資産分については不当利得としてその返還を請求しうることになり、右資産分の価格相当の不当利得返還請求権を有することになるから、結局、貸付金を有する場合と同じ結論となる。

第三、証拠

一、原告

1  甲第一、第二号証、第三号証の一、二、第四、第五号証、第六号証の一ないし七、第七号証の一ないし三八、第八号証の一ないし四、第九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証

2  証人寒作英雄、同足立梅市、同谷繁一、同川井捨男、同川口渡、同酒井善太郎、原告本人(第一、第二回)

3  乙第一二号証、第一四号証の一ないし一八、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし四、第一八号証の一、二、第二〇号証の一ないし四、第二二号証、第三八号証の一ないし一九の各成立は不知(乙第二〇号証の一については原本の存在も不知)、その余の乙号各証の各成立は認める(乙第六号証、第一〇号証、第一七号証の一ないし四、第一九号証、第二一号証の一ないし三、第二三ないし第三七号証、第三九号証の一ないし一四、第四〇号証の一ないし四、第四一号証の一ないし六四については原本の存在も認める。)。

二、被告

1  乙第一ないし第一三号証、第一四号証の一ないし八、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし四、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一、二、第一九号証、第二〇号証の一ないし四、第二一号証の一ないし三、第二二ないし第三七号証、第三八号証の一ないし一九、第三九号証の一ないし一四、第四〇号証の一ないし四、第四一号証の一ないし六四、第四二ないし第五一号証

2  証人河辺藤太郎、同小柳津一成

3  甲第七号証の一ないし三八、第一一号証、第一二号証の一、二の各成立は不知、その余の各号各証の各成立は認める(甲第九号証については原本の存在も認める。)。

理由

第一、本件更正決定等について

一、請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二、本件更正決定及び過少申告加算税賦課決定の内容が別紙(一)「課税処分表」のとおりである旨の被告の主張1を原告は明らかに争わないから自白したものとみなす。

第二、本件更正決定の適否について

被告は、右のように更正した理由として、原告が訴外会社から六、〇一〇万円(その後減額されて最終的には五、一〇六万円)の贈与を受け、四、〇〇〇万円(その後減額されて最終的には三、四〇四万円)の退職金を受領したからであると主張し、原告はこれを争い、訴外会社から贈与を受けたことはなく、貸付金を回収したにすぎないと主張するので、この点について検討する。

一1  原告が、昭和三九年五月ころ、当時代表取締役をしていた訴外会社から身を引く際、原告の要求により訴外会社から手形で二、〇〇〇万円、預貯金で七、八〇五万円及び現金で二〇五万円の合計一億一〇万円を受領し、その後手形支払のうち一、五〇〇万円が不渡りとなつたため、原告と訴外会社関係者らとの協議のうえ、右一、五〇〇万円を減額し、結局、原告の受領した金額が八、五一〇万円となつたことは、当事者間に争いがない。

2  原告が右金員を受領して身を引くまでの経緯について

成立に争いのない甲第四、第五号証、第八号証の一ないし四、第九号証(原本の存在につき争いがない。)、第一三号証、乙第二、第三号証、第六号証(原本の存在につき争いがない。)、第八号証(原本の存在につき争いがない)、第四二号証、証人寒作英雄、同谷繁一、同川井捨男、同川口渡、同足立梅市の各証言、原告本人尋問の結果(第一、第二回)によれば次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

訴外川口渡は、共栄石材商会という名称で、昭和二六年暮ころから尾鷲市で採石運搬船を購入して海上運送業を始め、昭和二八年ころには採石業もやり始めたが、業績は振わず赤字続きで資金的にもゆきづまり、昭和三〇年に船が半焼したときには、以前船員として一緒に働いたことがあり、その窮状の際に金を都合してやつたことのある原告の口ききで第三相互銀行から八〇万円を借りて急場をしのいだことがあつた。昭和三一年、川口は採石業に専念して海上運送業をやめようとしたが原告に止められ、その後両名で種々協議した結果、翌三二年、共栄石材商会を発展的に解消して、川口の資産、営業権、採掘権等を五〇〇万円と評価したうえ、原告が現金五〇〇万円を提供し、利益を折半するという約束のもとに、共同経営で採石業を営むことになり、紀州石という名称で新発足した。当初、紀州石は、間知石等を主な営業品目として京都方面等に販売していたが業績は上がらず赤字経営であつた。この間、原告及び川口は、紀州石の生産性を上げるため設備の改善、近代化のための投資をしたが、昭和三四年九月二六日の伊勢湾台風で港湾施設等が多大の被害を受けたため、石材需要の急激な増大を見越し、更に積極的な設備投資を始め、車輛、機械の購入、採石場の整備、道路の造成、開設、事務所、車庫、労務者寮の建築、埠頭の建設等が遂次なされていつた。昭和三五年四月には、原告は、従来経営していたパチンコ店を同店の従業員であつた訴外寒作英雄に譲つて本格的に紀州石の経営に乗り出し、昭和三六年四月には紀州石を会社組織にして訴外会社を設立し、前記道路、埠頭等に対する設備投資が続行された。右道路、埠頭等の建設については、紀州石若しくは訴外会社で産出する石材、砕石等を用い、セメント等自家生産しえないものは他から購入し、埠頭や労務者寮等の建設につき専門の技術者、大工等を使用したほかは自からの従業員(労務者)がその建設にあたつた。昭和三六年四月設立された訴外会社は、紀州石の資産、負債をすべて引継いだが、資産の評価は実際よりも低くなされ、圧縮して記帳計上されたため、資産、負債の差である純資産に見合う紀州石勘定は本来の金額よりも過少に記帳された。なお、訴外会社の資本金は四〇〇万円で、原告と川口の両名で大部分の株式を保有し、原告が代表取締役社長となつた。その後同年九月一〇日に訴外会社の販売する石材等を運搬することを主たる業務内容とする合名会社共栄海運が設立され、川口が代表社員となつた。訴外会社設立後も紀州石の時代と同様に収支は若干の赤字であつたが、昭和三六年一二月には、いない埠頭の工事が受注され、翌三七年には名古屋港高潮防潮堤工事の一部契約高約二億三、〇〇〇万円が、次いで翌三八年には同工事の一部契約高約三億三、〇〇〇万円が相次いで受注され、工事も遂次進行し、昭和三七年度の純利益は約八〇〇万円、翌三八年度の純利益は約七、〇〇〇万円で、翌三九年度もかなりの利益が見込まれ、この間、原告及び川口は正規の利益配当等をしないまま、昭和三八年五月ころから脱税のため裏資金を蓄え、昭和三九年五月ころにはその額は約八、〇〇〇万円位となつていた。ところが、その後、原告と川口との間で事業経営上の方針について意見の対立が生じ、昭和三九年五月ころ、川口は金三、〇〇〇万円を受領して訴外会社から身を引くことに決定したが、会社従業員の多数が原告の退陣と川口の残留を強く要求したこともあり、結局原告が身を引くことになつた。そこで、原告は、これまでに事業に出資した金員の回収額を含めて金二億円の交付を要求したが、その後川口との協議を経て、結局手形で二、〇〇〇万円(額面五〇〇万円の手形四枚)、現金及び預貯金で八、〇一〇万円の交付を受けること、付帯条件として四日市市にあつた土地、建物等を受領する一方、原告の有する訴外会社の株式は全部川口に譲渡することで合意が成立した。そして、最終的には前記1説示のとおり、不渡りとなつた手形一、五〇〇万円についてはこれを減額し、受領金額は八、五一〇万円となつた。

3  原告の収入について

(一) パチンコ営業による収入について

成立に争いのない乙第五号証(但し、次の認定に反する部分を除く。)、第九号証、前提原告本人尋問の結果から成立を認める甲第七号証の一ないし三八、前提乙第四二号証、同証人寒作英雄の証言、同原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

原告は、船員、漁業などに従事した後、昭和二六年ころから尾鷲市、次いで三重県木本町(後に熊野市となる)でパチンコ営業を始めた。当時の木本町の人口は約七、〇〇〇人で、昭和二七年ころの木本町のパチンコ店は約二軒位であり、昭和三〇年ころ連チヤン式のパチンコ台が使用されてパチンコ営業が繁盛したころは約二〇軒位で、その後連チヤン式が禁止されるに従い下火となつて昭和三五年ころには約二軒位となつた。原告のパチンコ店は、他のパチンコ店の中では最もよい場所に位置し、パチンコ台数も当初は約三六台位であつたが昭和二九年には店舗を拡張し、その後パチンコ台数も約八六台となり、最も大きな店であつた。原告方の店員は約七ないし八名で、平均一日一台当り一、〇〇〇円位の売上げがあり、荒利益(売上収入から景品額を控除したもの)は約二割五分、経費が月に二〇万円ないし二五万円位で純利益は約二割位であり、訴外酒井杉男の経営するパチンコ店よりも繁盛していた。昭和三五年二月二六日から同年四月三日までの原告方パチンコ店の売上収入と荒利益は別紙(二)のとおりで、右期間の累計は売上収入三四四万二、四七〇円、荒利益八八万九、三八〇円であつた。

右事実によれば、原告は、昭和二六年の開業以来かなり多額のパチンコ収益を挙げたものということができる。

もつとも、右収益額については、これを一義的に確定することはできないのであつて、七、五二〇万円の収益があつた旨の原告主張に沿うかの如き前提原告本人尋問の結果も直ちにこれを措信するわけにはいかない。

せいぜい、前記認定した数値から不確定な数額を推測しうるのみで、その額は、昭和二六、二七、二八年には年間約三〇〇万円ないし三六〇万円位、同二九年以降で年間約六〇〇万円ないし七〇〇万円位のものであると思われる。

前提乙第五号証のうち、右認定に沿わない部分は直ちには措信しえず(前記事実摘示の当事者の主張六、1、(一)(2)の被告の主張)、成立に争いのない乙第一号証、第七号証、第四三ないし第五一号証も右認定を覆すに十分とはいえず(同六、1、(一)、(1)、(3)、(6)、(7)の被告の各主張)、同六、1、(一)、(4)の被告主張の各事実が認められたとしても、そのことから直ちに右認定を覆すことができるとはいえず、同六、1、(一)、(5)の被告主張も、前提証人寒作英雄の証言、同原告本人尋問の結果に照らすと、右認定を覆すに十分でなく、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 資産売却による収入について

原本の存在成立とも争いのない乙第六号証、前記乙第九号証、前提寒作英雄の証言、同原告本人尋問の結果によれば、原告は寒作英雄に対し、昭和三五年五月一日、従来経営していたパチンコ店を代金三二〇万円、約三年間の割賦払の約で売却し、数か月で代金全額の支払を受けたことが認められる。

前提甲第八号証の三、成立に争いのない甲第六号証の一ないし七によれば、昭和三五年ころ原告がその所有にかかる山林伐採したことによる所得は約二七〇万円であることが認められる。

4  原告と第三相互銀行との銀行取引について

(一) 成立に争いのない甲第四号証、乙第三九号証の一ないし一四、前提甲第八号証の一ないし四、第九号証、乙第四二号証、証人川口渡の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告名義の借入及び返済の状況は、昭和二八年八月二〇日に四〇万円の、同月三一日に一五万円の各書替(従来の借入を更新したもの。以下同じ。)があつたのち、同年九月二一日から同三〇年一〇月三一日までに二一五万円の新規借入があり、昭和三〇年一一月より昭和三二年八月末日まで新規の借入はなく、この間に二六〇万円を返済し、同年九月五日に二〇〇万円の新規借入と五〇〇万円の書替があつた後、翌三三年五月一五日に五〇万円の新規借入があつたが直ちに五〇万円返済され、同月三一日から翌三四年九月四日までの間に三、八一五万円の新規借入があり、一、七七五万円を返済し、同年一〇月三一日から翌三五年四月三〇日までの間に一、六〇〇万円の新規借入があり、一、〇一〇万円を返済し、同年五月から昭和三六年四月五日までの間に二、六一五万六、〇〇〇円の新規借入があり、二、一九五万六、〇〇〇円を返済し、その後は新規の借入はなく、同年五月六日に三〇万円を、昭和三七年九月二九日に一、七五〇万円を、翌三八年五月一八日に一、四〇〇万円を返済して借入金残高は零となつたことが認められ、又、右各証拠(但し、乙第三九号証の一ないし一四を除く)及び成立に争いのない乙第四〇号証の一ないし四によれば、川口渡名義の借入及び返済の状況は、昭和二八年四月一日に一〇〇万円の、昭和二九年九月二日に五〇万円の、昭和三〇年二月二八日に八〇万円の、昭和三一年四月七日に五〇万円の、同年一二月三〇日に四〇万円の、昭和三二年三月二三日に二〇〇万円の、各新規借入があり、同年四月四日に一〇〇万円の返済がなされ、同年一二月二七日から昭和三四年一〇月一日までの間に五七〇万円の新規借入がなされ、この間四二〇万円の返済がなされ、同日以降、新規の借入はなく、昭和三五年四月二三日に三〇万円の、同年七月二二日に二〇〇万円の、昭和三六年四月五日に一七〇万円の、昭和三八年五月一八日に七〇万円の、各返済がなされ、借入金残高は零となつたことが認められる。

(二) 右原告名義の借入及び返済の状況を見るに、昭和二八年八月より昭和三〇年一〇月三一日までの間に借入れられた金額(昭和二八年八月二〇日の四〇万円と同月三一日の一五万円の各書替分を含む)二七〇万円は昭和二八年八月より昭和三二年八月三一日までの間に大部分の二六〇万円が返済となつているところ、この間は、前記一、2認定のとおり、紀州石の経営に参画する以前であるから、右借入金はもつぱら原告のパチンコ営業のためのものであり、右返済金も原告の資金(パチンコ収益)でなされたものといつてよく、同年九月五日の二〇〇万円の新規借入と五〇〇万円の書替のころから昭和三三年以降急激に新規の借入が増加し、原告がパチンコ業を廃業した昭和三五年四月三〇日までの間に累計六、一一五万円(但し前記直ちに返還された五〇万円を除く)に達していることは、前記認定の原告が紀州石の経営に参画し、紀州石の設備投資が増加した事実と符合し、この間、前記認定のとおり、川口にさしたる資産、財産はなく、紀州石は赤字経営であつたのであるから、銀行借入のできたのは、前記3(一)認定のような多額のパチンコ収益のあつた原告のほかは考えられず、その返済も大部分原告のパチンコ収益による資金によつてなされたとみるのが相当であり、その後訴外会社設立に至るまでの間になされた新規借入も、結局いままでのいきさつから原告宛になされたと見るべきである。

又、川口渡名義の借入及び返済の状況を見るに、昭和二八年四月から昭和三一年一二月までは、一回毎の借入金額も少額であり、この間返済もなく、又同期間中は川口が単独で事業を経営していて(前説示のとおり)、川口自身第三相互銀行と取引があつたこと(前掲甲第八号証の一ないし四、第九号証、証人川口渡の証言によつて認める。)等からすると右期間の借入は、川口が自己のためにしたものと考えられ、翌三二年以降訴外会社設立までの間は、主として紀州石の経営の期間であり、一回毎の借入金及び返済金の額の大きさの点をあわせ考えれば、前説示のとおり、赤字であつた紀州石やさしたる資産とてなかつた川口が右借入や返済をしうるものとは考えられず、右期間の借入及び弁済は前記のようなパチンコ業収入のあつた原告が川口名義でしたものとみるべきである。

(三) ところで、前掲乙第三九号証の一ないし一四、第四〇号証の一ないし四、原本の存在、成立ともに争いのない乙第一七号証の一ないし四、第一九号証、第二一号証の一ないし三、第四一号証の一ないし六四、証人河辺藤太郎の証言から成立を認める乙第一四号証の一ないし八、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一ないし四、第一八号証の一、二、第二〇号証の一ないし四(第二〇号証の一については原本の存在も認める。)、第二二号証、証人河辺藤太郎の証言によれば、別紙(九)、(一〇)記載のとおり、原告名義の第三相互銀行からの借入金の返済が、川口渡、大屋桂市、土屋静男、土屋美代子各名義の普通預金口座その他の預金口座(第三相互銀行に対するもの。)から振出された資金でなされている場合があり、そのうちには、紀州石の取引先からの売上入金や取引銀行(中小企業金融公庫)からの借入金がそのまま右各普通預金口座等を経て原告名義の借入金の返済資金となつている場合のあること、そのほか昭和三六年一月から四月までの間には紀州石から原告名義の右借入金の利息の支払がなされていることが認められるのであるが、証人酒井善太郎、前掲証人川口渡の各証言、原告本人尋問の結果によれば、右各名義の普通預金口座等は元来原告のものであることが認められるので、右各口座から原告名義の右借入金の返済資金が出ているのは当然のことといいうる。そして、紀州石の取引先からの売上入金や取引銀行からの借入金が右各普通預金口座に入金されたり、その資金がそのまま原告名義の借入金の返済にまわされていることは、昭和三五年四月以降に認められる事実であり、又、紀州石から利息の支払がなされているのも昭和三六年一月以降の事実であつて、右は、単に、昭和三五年四月以降、原告の借入金の返済資金が紀州石からも出ていることを示すにすぎないものというのを相当とする。

(四) そうすると、前記認定の原告名義の銀行取引及び昭和三二年以降の川口渡名義の銀行取引は、原告がしたものであり、右取引による借入金は原告の借入金ということができる。

5  右各事実により、原告が受領した金員の性格を検討するに、原告が訴外会社から身を引く際のいきさつからすると、かなり漠然とした形で金額の決定がなされていて、右金員の性格について当事者間で明確な合意があつたものとはいえず、四、〇〇〇万円(その後減額されて三、四〇四万円)の退職金を除く六、〇一〇万円(その後減額されて五、一〇六万円)全額が贈与金であるとの被告の主張はにわかに認めることができず、営利会社である訴外会社が、特段の事情もないのに、そのように多額の金員を一方的に贈与するということは考えられない。むしろ、右事実よりすれば、紀州石の開業後訴外会社設立のころまでになされたかなり多額の設備投資資金が、資金繰りに苦しかつた川口によつてまかなわれたものではなく、多額のパチンコ収入を得ていた原告によつてまかなわれていたと推認しうるところ、原告が訴外会社から身を引くに際して受領した金員中には右提供資金の回収分が含まれていたものとみるのが相当である。すなわち、原告の受領した金員の性格を課税上の観点から考察するについては、その行為の形式を勘案することはもとよりであるが、右行為によつて事実上発生している経済的効果に着目して、これを実質的に評価、判断することが重要であるところ、前記認定事実によれば、原告と川口のした紀州石の経営についての法律関係は、これを民法上の組合(民法六六七条)類似の関係と評価しうべく、原告が提供した金員はこれを出資金とみるのが相当で、紀州石の財産については原告と川口の共有に属しており、その持分は二人の出資額に応じた割合となつていて、訴外会社設立に際しては右組合における原告及び川口の資産、債務等の一切を同会社に引継ぎ、共有財産のうち原告の持分に属する分が資産として同会社に引継がれる(財産引受、商法一六八条六号参照)とともに、その見返りとして、原告の前記出資金が同会社の債務として、換言すれば、会計処理上は原告からの借入金として引継がれたものとみるのが相当であり、従つて、原告が訴外会社から身を引くに際して受領した金員中には、右出資金に相当する債務の回収分が含まれていたものということができる。

そして、前記認定事実よりすれば、訴外会社はかなりの利益を挙げたものということができるが、原告は、訴外会社から利益配当を受けていないのであるから、右受領金中には過去に受領すべきであつた利益配当金に相応する分も含まれていたとみるべきであり、又、原告は同会社の代表取締役として勤務していたのであるから、右受領金中には退職金に相当する分も含まれていたものとみるべきである。

二、被告は、原告が訴外会社から右出資金に見合う額を受領するいわれはないと主張するので、この点について検討する。

1  右借入金(訴外会社の引継いだ出資金返還債務)は消滅しているとの主張について

被告の右主張は、原告のパチンコ業収入の額が二、七二二万三、〇〇〇円であることを前提とするが、前説示のとおり、パチンコ業収入額はそれをかなり上まわつていたのであるから、既にこの点において失当である。

2  匿名組合又は組合の法理から訴外会社に返済の請求ができないとの主張について

前説示のとおり、紀州石は原告と川口渡の共同経営によつてなされており、紀州石の財産について川口渡の単独所有となつていたとすることは当事者の意思に合致するものではなく、両者の共有となつていたものと解すべきで、そうすると、これを匿名組合ということはできず、前記のとおり、右は民法上の組合類似のものと評価すべきである。

そして、設立された訴外会社も個人会社であり、実質上は右組合関係の継続、延長したものにすぎないのであるから、訴外会社の設立に際して民法六八二条所定の解散があつたものとみることはできず、特に、右時点で残余財産の分割をするなどということは、当事者の意思にはなはだしく反するものであつて、妥当ではない。

従つて、被告の右主張も失当である。

3  財産引受の法理から返済の請求ができないとの主張について

訴外会社が紀州石から前記出資金返還債務を含む一切の資産、負債を承継したことが財産引受又は事後設立に該当し、右の点が訴外会社の原始定款に記載されていないため又は株主総会の特別決議を経ていない等のため無効であり、従つて原告は訴外会社に対し右出資金の返還を主張しえないとしても、前記一、2で説示したとおり、既に訴外会社から原告に対し現実に金銭等の交付がなされているところ、右金銭等の交付の私法上の効力とは別個に、事実上発生、存続している経済的効果に着目し、これを右出資金返還債務の返済と評価することは、税法上の実質主義の建前から許されるものというべきである。

本件においてこれを見るに、前記認定のとおり、訴外会社は、その大部分が原告の右出資金によつて建設又は取得されたところの道路、埠頭、建物、機械等の資産を、自己の所有財産として経済的に所有、利用、収益して、かなり多額の利益を挙げたものであり、前掲甲第八号証の一ないし四、第九号証、証人川口渡、同谷繁一、同川井捨男の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、前記一、2で説示したとおりの金銭等の交付を受け、さらに当時三重県四日市市にあつた土地、建物を譲受けたことにより、自己所有にかかる訴外会社の株式全部を川口渡に譲渡して訴外会社から完全に身を引いたことが認められ、これに反する証拠はなく、又前掲甲第九号証、証人川口渡の証言、原告本人尋問の結果によれば、訴外会社は既に倒産し、川口渡には既に右出資金を返済しうる能力のないことが認められ、これを覆すに足る証拠はなく、右各事実より考えれば、前記金銭等の交付によつて、経済的には右出資金返還債務(借入金)の返済という効果が事実上発生、存続しているものということができ、従つて、税法上これを出資金返還債務(借入金)の返済と評価しうるから、被告の前記主張は認められない。

三、原告の受領した金員のうち、前記出資金の返済分に相当する額がどれだけであり、退職金に相当する額さらには過去に受領すべきであつた利益配当金に相当する額がどれだけになるのかを検討する。

1  退職金について

前掲甲第八号証の三、原告本人尋問の結果によれば、原告は退職金として金二、〇〇〇万円受領したことが認められ、これに反するが如き前掲甲第五号証、乙第二、第三号証も右認定を覆すに足りない。

2  過去に受領すべきであつた利益配当金相応分について

右についての金額がどれだけになるかを直接明らかにしうる証拠はないが、後述のとおり、原告が受領した金員中、借入金(訴外会社の引継いだ出資金返還債務)の回収分の額を推認しうるから、これと右退職金の額とを控除した額をもつて過去に受領すべきであつた利益配当金相応分とすべきである。

(一) 借入金(訴外会社の引継いだ出資金返還債務)の回収分について

右借入金の回収分は、右借入金の総額から原告の本件金員受領時たる昭和三九年五月までに紀州石若しくは訴外会社のした返済分を控除することによつて算定できる。

(1) 借入金(訴外会社の引継いだ出資金返還債務)の総額について

<1> 原告の出資金すなわち右借入金の額がどれほどのものであるかの点については、借用証、帳簿書類等右金額を直接把握するに足る資料はなく、証拠として提出されている紀州石の元帳(乙第四一号証の一ないし六四)、引継勘定(乙第三八号証の一ないし一九)等の帳簿類も右借入金額を把握しうるための十分の資料とはなりえず、原告始め、川口渡、谷繁一、川井捨男等の証言や供述(甲第五号証、第八号証の一ないし四、第九号証、乙第二、第三号証、第八号証、第四二号証、証人川口渡、同谷繁一、同川井捨男の各証言、原告本人尋問の結果等)は、いずれも余り根拠の明確でない伝聞やかなりあいまいな記憶にすぎず、右借入金額を把握するための資料としては信用性が薄い。

ところで、前記認定のとおり、原告は、昭和二六年から営業していたパチンコ業でかなりの収益をあげ、昭和三二年に金五〇〇万円を紀州石に提供して経営に参画したあと設備投資資金等を提供し、伊勢湾台風後の昭和三五年四月末日をもつてパチンコ業を廃業して紀州石の経営一本に打込んで、翌三六年四月には訴外会社を設立して代表取締役社長となつたものであり、右期間右パチンコ業と紀州石の経営以外には特に資金を必要とする他の事業等は行つていない。

さて、わが国では、事業経営に必要な資金(設備投資資金等の長期資金及び運転資金等の短期資金)は、銀行からの借入金でまかなわれるのが通常であるところ、これと前掲甲第四号証、第八号証の一ないし四、第九号証、乙第一四号証の一ないし八、第一五号証の一ないし三、第一六、第一七号証の各一ないし四、第一八号証の一、二、成立に争いのない甲第六号証の一ないし七、乙第二三ないし第三七号証、前掲証人川口渡の証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、本件において、原告は、パチンコ営業をしていくうえで必要とされる運転資金は第三相互銀行に預けた当座預金、普通預金でこれをまかない、パチンコ営業に必要とされる長期的資金(設備投資資金)と紀州石の経営に必要とされた設備投資資金及び運転資金等は同銀行に預けた各種預金や山林等の不動産を担保とする同銀行からの借入金でまかなつたものということができる。

そうすると、前記一、4で認定した原告と第三相互銀行との銀行取引によつて原告が借入れた資金のうち、パチンコ経営に使われたと思われる金額を控除した残額をもつて、紀州石の経営に使われた資金の額、従つて、原告が紀州石の経営に出資した金額であると推認しうるものである。

そして、一般私法上の権利義務の存否に関する民事訴訟の場合と異なり、本件においては、前説示のとおり、原告の受領した金員中には、退職金及び借入金(出資金返還債務)の回収分のあることが認められ、なお、残額があるときにはこれを過去に受領すべきであつた配当金相応分と評価しうる場合であるから、右借入金の回収分を右のような推認方法によつて算定することは、原、被告双方の主張を前提として、前説示した本件具体的事情のもとにおいては、許容されるものと考えられる。

<2> さて、原告の第三相互銀行からの借入金の状況は前記一、4認定のとおりであるが、このうち昭和二八年八月から昭和三〇年一〇月三一日までの原告名義の借入金二七〇万円(前記四〇万円と一五万円の書替分を含む。)は、前記のとおり原告が紀州石の経営に参画する以前のことであるからパチンコ業のための資金、特に昭和二九年ころ行われた店舗改装、パチンコ台数倍増の費用に使われた(前記一、2認定事実並びに前掲原告本人尋問の結果による。)ものと考えられ、前記のとおり昭和二八年四月から昭和三一年末までの川口名義の借入金は川口自身のものと考えられる。

次に、昭和三二年九月五日の五〇〇万円の書替分が前記一、2認定の、原告が紀州石の経営に参画するにつき提供した現金五〇〇万円となつているものと考えられ(なお、前掲甲第四号証によれば、昭和三二年九月五日の右五〇〇万円の書替分の借入期限は同月三〇日で期間は二六日間となつていることが認められ、同号証には右九月五日の期日から遡つて昭和二八年八月二〇日に至るまで五〇〇万円の新規借入若しくは書替の記載がないところ、右昭和二八年八月二〇日より以前に遡つて新規借入された五〇〇万円の最初の書替の期日が右昭和三二年九月五日となることは考えられないから、右九月五日書替の五〇〇万円は、いずれにしろ右期日と近接した日時に新規借入れされたものと推認しうる。)、従つて右期日以降原告がパチンコ営業を廃業した昭和三五年四月三〇日までの間の原告名義借入金六、一一五万円と川口名義の借入金五七〇万円とは、原告のパチンコ業経営と紀州石の経営に使用されたものと考えられる。

なお、昭和三二年三月二三日の川口名義の借入金二〇〇万円は紀州石発足前のものであるが、前記のとおり原告の借入金と考えられ、実質的に紀州石経営のために使用されたものと考えられる。

そして、昭和三五年五月から翌三六年四月五日まで原告名義の借入金二、六一五万六、〇〇〇円は、もつぱら紀州石の経営のために使用されたものと考えられる。

ところで、昭和三二年九月五日から同三五年四月三〇日までの間のパチンコ業のために費やされた借入金の額を直接明らかにしうる証拠はないから、これを推認するに、同期間には、日常的に必要とされる運転資金のほかはパチンコ機械の入替の費用が必要とされる位で、前掲原告本人尋問の結果によれば、パチンコ機械の入替は年二回位で、新しいパチンコ機械一台の値段は約四、〇〇〇円ないし七、〇〇〇円であることが認められる(なお、原告は、入替える機械は自分で作つたからその費用は一台につき一、五〇〇円位である旨供述するが、右の点は必ずしも措信しえない。)ところ、前記一、3、(一)認定の事実から、原告方のパチンコ台数は当時八六台位あつたものというべく、右入替に必要な資金は年間約七〇万円ないし一二〇万円となり、前記期間は約二年六か月であるから、約一七五万円ないし三〇〇万円となる。

そして、前記認定のとおり、日常的に必要とされる運転資金は当座預金、普通預金でまかなわれたのであるから、借入金でまかなわれる必要のあるのは右機械入替費用の約一七五万円ないし三〇〇万円であるものということができ、計算の便宜上、中間値をとつて約二三七万円をもつてパチンコ営業に費やされた借入金の額とすべきものである。

そうすると、前記六、一一五万円及び五七〇万円の合計額から右二三七万円を控除した六、四四八万円と前記二〇〇万円及び二、六一五万六、〇〇〇円との合計額九、二六三万六、〇〇〇円をもつて前記借入金(出資金返還債務)額とすべきものである。

(2) 紀州石若しくは訴外会社のした返済分について

<1> 前掲甲第四号証、乙第一四号証の一ないし五、第一五号証の一ないし三、第一六、第一七号証の各一ないし四、第一八号証の一、二、第一九号証、第二〇号証の一ないし四、第二一号証の一ないし三、第三九号証の一ないし一四、第四〇号証の一ないし四、証人河辺藤太郎の証言によれば次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(イ) 昭和三五年四月一一日、紀州石の取引先である訴外伊藤組から一〇〇万円が川口渡名義の普通預金口座(第三相互銀行本店のもの。以下川口名義の普通預金という。)に入金され、当該入金前の右預金残高は二〇万二、〇四九円であつたところ、同月一五日付の前記原告の第三相互銀行からの借入金の返済一〇〇万円が右川口名義の普通預金から同日付で支払われた。

(ロ) 紀州石の取引先である訴外西木建設から三一万二、〇〇〇円、同丸山建設から六万四、八〇〇円、同大成建設から一六五万一、〇〇〇円、合計二〇二万七、八〇〇円が第三相互銀行津支店へ入金された後、同月二〇付で川口名義の普通預金に振替入金され、当該入金前の右預金残高は五万六、七七一円であつたところ、同月二二日付の原告の前記借入金の返済二〇〇万円が川口名義の普通預金から同日付で支払われた。

(ハ) 同年五月一二日、紀州石の取引先である訴外大成建設から三七七万円、同伊藤組から二六万六、五〇〇円、合計四〇三万六、五〇〇円が大屋桂市名義の普通預金(第三相互銀行本店)に入金され、当該入金前の右預金残高は三〇万一、三二〇円であつたところ、同月一九日付の原告の前記借入金の返済五〇〇万円のうち四二〇万円が同日付で右大屋桂市名義の普通預金から支払われた。

(ニ) 同年七月一一日、紀州石の取引先である訴外大成建設から二四六万六、二二五円が原告名義の普通預金(第三相互銀行四日市支店)に入金された後、同月一三日付で同預金から二三六万六、二二五円が川口名義の普通預金に振替入金され、当該入金前の残高はなかつたところ、同月一五日付の原告の前記借入金の返済二四〇万円が川口渡名義の普通預金から同日付で支払われた。

(ホ) 同年一一月一一日、紀州石の取引先である訴外水野組から二三七万九、八五三円が、同月一六日、同じく株式会社四日市海事工業所から一五万四、〇〇〇円が、それぞれ土屋美代子名義の普通預金(第三相互銀行四日市支店)に入金され、これらと同月一一日付の出所不明の八八万二、八〇〇円の入金との合計のうちから二五四万〇、三二五円が同月一九日付で川口名義の普通預金に振替入金され、当該入金前の右預金残高は一四八万六、八二一円であつたところ、原告の前記借入金の返済四〇〇万円は右川口名義の普通預金から同日付で支払われた。

(ヘ) 同年二月一八日、訴外中小企業金融公庫から原告名義で六〇〇万円を借入れたが、右は同年四月一九日付の原告の前記借入金の返済六〇〇万円にあてられた(この点については、前掲原告本人尋問の結果を事実認定に供した証拠に付け加える。)。

(ト) 訴外会社は、原告の前記借入金につき、昭和三六年四月五日、一七〇万円を、同年五月六日、三〇万円をそれぞれ第三相互銀行に返済した。

(チ) 昭和三七年九月二九日、訴外会社は、原告の前記借入金一、七五〇万円を第三相互銀行に返済した(これは、前掲甲第八号証の一ないし四、第九号証、前掲原告本人尋問結果から認められる、訴外会社が原告から引継いだ一、七五〇万円の債務の弁済であると考えられる。)。

(リ) 昭和三八年五月一八日、訴外会社は、原告の前記借入金一、四〇〇万円及び七〇万円を第三相互銀行に返済した。

<2> 右(イ)ないし(ホ)の事実によれば、原告の前記借入金の返済が紀州石の資金によつてなされたことが推認され、その額は、(イ)の事実から一〇〇万円、(ロ)の事実から二〇〇万円、(ハ)(の)事実から四〇三万六、五〇〇円、(ニ)の事実から二三六万六、二二五円、(ホ)の事実から二五三万三、八五三円ということになり、そのほか、前記(ヘ)認定のとおり六〇〇万円があるので、結局訴外会社成立時までに右合計一、七九三万六、五七八円が代位弁済されたことになり、その後訴外会社が前記(ト)(チ)(リ)の合計三、四二〇万円を代位弁済したことになる。

(3) 借入金(出資金返還債務)の回収分について

そうすると、前記九、二六三万六、〇〇〇円から右一、七九三万六、五七八円と三、四二〇万円とを控除した四、〇四九万九、四二二円が未返済の借入金(出資金返還債務)であり、これをもつて回収分とみるべきである。

(三) そうすると、原告が当初受領した一億一〇万円から右退職金二、〇〇〇万円と右借入金(出資金返還債務)回収分四、〇四九万九、四二二円とを控除した三、九六〇万〇、五七八円をもつて、過去に受領すべきであつた利益配当金相応分とすべきである。

四、一、五〇〇万円減額後の最終的内容について

ところで、前説示のとおり、原告が最終的に受領した金員は、一、五〇〇万円を減額した八、五一〇万円であるが、右減額された一、五〇〇万円については、それが退職金の部分であるのか、借入金(出資金返還債務)の回収分であるか、又は過去に受領すべきであつた利益配当金相応分であるのかが明確ではないところ、このような場合、一般社会通念の見地に鑑みれば、当初に支払われた右三種類の金額の割合によつて右八、五一〇万円が支払われたとみるべきが相当である。

そうすると、退職金の額は次の算式により一、七〇〇万二、九九七円とみるべきである。

<省略>

そして、旧所得税法九条一項六号の規定により退職所得金額を算定すると、その額は、次の算式により八四〇万一、四九八円ということになる。

特別控除額

<省略>

又、過去に受領すべきであつた利益配当金相応分の金額は、次の算式により三、三六六万六、四二五円とみるべきである。

<省略>

そして、前記原告が訴外会社から身を引く際のいきさつからすると、原告は、株式を川口に譲渡してしまつており、又訴外会社も正確な決算に基づき正規の利益配当手続を経て右金員の交付をしたものではないから、右金員をもつて旧所得税法九条一項二号所定の配当所得ということはできず、同法五条によつて配当所得とみなす場合でもなく、その他同法九条一項一号ないし八号に該当する所得ということもできないところ、右は同条同項九号所定の一時所得というを相当とする。

そうすると、右一時所得の金額は、次の算式により一、六六三万三、二一二円というべきである。

<省略>

五、従つて、本件更正決定中、退職所得金額につき八四〇万一、四九八円を超える部分及び一時所得金額につき一、六八三万三、二一二円を超える部分は違法たるを免れない。

第三、結論

以上のとおりであるから、本件更正決定のうち、退職所得金額一、六九二万円について八四〇万一、四九八円を超える部分、総所得金額三、一九五万六、七五〇円について一時所得金額を一、六八三万三、二一二円として算定した二、三二五万九、九六二円を超える部分、所得税額について退職所得金額及び総所得金額を右同額として算定した税額を超える部分並びに過少申告加算税の賦課決定のうち、右税額の超過部分に相当する部分(過少申告加算税賦課決定の取消は、前記事実摘示に照らし、原告の請求の趣旨に含まれているものといいうる。)は、違法として取消を免れない。

よつて、原告の被告に対する本訴請求は、右説示の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白川芳澄 裁判官 林輝 裁判官 若林諒)

別紙(一)

課税処分表

<省略>

<省略>

※注 課税総所得金額が千万円をこえることになるため、旧所得税法第一五条の七および租税特別措置法第八条の三の規定により配当控除額は三〇〇、五六二円(配当所得の金額4,007,500円×7.5%)となる。

別紙(二)

土屋静男分資金運用表

(自昭和27年1月1日 至昭和36年4月15日)

<省略>

備考一 法人へ引継いだ資産(2欄)は、別紙(五)の引継勘定修正表の過少又は不表現額と引継表現額金19,803,800円の内金13,000,000円の合計額である。

二 借入金返済(4欄)、支払利息(7欄)、銀行借入金(8欄)の各金額は、別表(株)第三相互銀行本店作成の土屋静男貸出金調書により算出したものである。

三 昭和27年1月1日現在は、住宅及びパチンコ業用設備以外には、特に資産は無かつた。

別紙(三)

一、パチンコ店売却代 金三、四〇〇、〇〇〇円

熊野市木本町の原告所有のパチンコ店を昭和三五年訴外寒作英雄に売却した代金

二、山林伐採所得 金五、九〇〇、〇〇〇円

原告所有の熊野市波多須町字小田一、二一〇番山林五町六反一畝一七歩及び同番地の一、山林二反六畝の杉林を昭和三三年に伐採した所得

三、山林伐採所得 金二、六〇〇、〇〇〇円

原告所有の熊野市飛島町小又字幸田

四九二番地 二畝五歩

四九三番地 二畝一五歩

四八七番地 七畝二〇歩

四九五番地 五反七畝二一歩

四九五ノ二番 八畝二二歩

の地上杉林を昭和三四年伐採した所得

以上

別紙(四)

<省略>

別紙(五)

引継勘定修正表

昭和36年4月15日現在(会社設立時)

<省略>

別紙(六)

確定申告に基づくパチンコ業所得計算表

(1) 1ケ月当り所得金額

32年分営業所得 33年分営業所得 34年分営業所得 32.1から34.12までの月数 1ケ月当り所得金額

(557,000円+838,600円+791,183円)÷36ケ月61,000円

(注) 昭和35年分申告額はパチンコ機械台数が85台であるので基礎数額から除外した。

(2) 営業期間 自昭和27年3月 至昭和35年4月)98ケ月(営業月数)

(3) 原告の全営業期間におけるパチンコ業所得

1ケ月当り所得金額 営業月数

61,000円×98ケ月=5,978,000円6,000,000円

昭和33年分所得税の原告の予定納税額 第1期分 16,530円

第2期分 16,530円

昭和33年分所得税の原告の予定納税基準額 16,530円×3=49,59049,600円

(注) 予定納税額の第1期分および第2期分は、各々予定納税基準額の1/3に相当する金額(10円未満の端数があるときはその端数を切り捨てる)であり、予定納税基準額は納税義務者の前年分の総所得金額に対する所得税についてその年6月1日において確定しているところの所得税の税額から、前年分の所得につき源泉徴収された又は徴収されるべき税額等を控除した金額である。なお、計算にあたつては昭和32年分においても昭和33年分と同額の配当所得があつたものとして取扱い、所得控除額等についても昭和33年分の確定額を基礎として計上した。

(旧所得税法21条、21条の2乃至4、同施行規則19条参照)

昭和32年分所得税額 49,600円 (昭和33年分所得税予定納税基準額)

配当所得にかかる源泉所得税 1,500円 (配当所得×10%)

差引所得税額 51,100円

配当控除 3,000円 (配当所得×20%)

算出税額 54,400円

課税総所得金額 336,000円 (昭和32年分所得税の簡易税額表の税額欄54,400円に該当する課税総所得金額)

所得控除 236,000円

内訳

基礎控除 (87,500円)(昭和32年分基礎控除額)

扶養控除 (127,500円)(昭和32年分扶養控除額。扶養親族5人)

生命保険料控除 (21,000円)(昭和32年分生命保険料控除額・限度額)

総所得金額 572,000円

内訳

営業所得 (557,000円)

配当所得 (15,000円)(昭和33年分申告額と同額とした)

別紙(七)

同業者の申立てに基づくパチンコ業所得計算表

1年当りの最高純益

<省略>

但し、原告のパチンコ機械台数を便宜、昭和27年3月から同36年4月15日までの全期間にわたり100台として計算したもの

別紙(八)

効率表に基づく収入金額計算表

原告の場合は「効率表」の町部に該当し、数値の適用にあたつては町部の最高額であるE階級の167,000円に該当するものとして取扱い、これに加算歩合のプラス0.17を適用(原告の営業状況が良好であつたものと仮定した)して、パチンコ機械1台当りの収入金額(年間)195,390円((167,000円+(167,000×0.17)=195,390円))を適用して算定した。

機械1台当り収入金額 原告の機械台数 年間収入金額

195,390円×100台=19,539,000円

別紙(九)

普通預金入出金関連表

<省略>

<省略>

<省略>

別紙(一〇)

土屋静男名義借入金の取引状況及び返済資金出所調べ

<省略>

別紙(二)

集計表

<省略>

注) △印は欠損(赤字)であることを示す。

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